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「会社を辞めよう」と決断した理由【手に職をつけたかった】

今年(2019年)、自営業として10年目をむかえました

あっという間の10年でしたが、特に最近は1日が終わる早さがハンパなく、そんな毎日が積み重なって、気づけば1年が終わっていたという感じです

そんな毎日の中でも、会社員を辞めて起業しようと思ったときのことは鮮明に思い出せます

当時勤めていた会社が(今思えば)ブラック企業だったことについては前にも書いていますが、その会社に勤めていたからこそ独立・起業をしようと思えたことも事実です

どんなことにも理由があり人生にムダなことはないと言いますが、まさにその通りなのかもしれません

いま会社で仕事内容や給与、人間関係のことなどに苦しんでいて、「早くここから抜け出したい!」と思っている人もいるでしょう

そんな人たちの参考になればと思い、退社を決断した当時のことを書いていきます

当時の勤務状況(終わりのない仕事量)

会社を辞めようと思ったのは入社してから2年ほど経った頃です

入社から1年が過ぎ本社勤務から支店へ移動となり、自分で営業をしながら建築現場の職人さんの施工管理をするという、いわゆる現業営業をしていました

現場の施工管理だけをしていればよかった本社とは違い、支店は少人数だったため何から何まで自分がしなければならなかったので、ただでさえ休みが取れない会社だったのに余計に時間がなくなってしまいました

本社勤務のときと変わらず、朝7時前には建築の現場に入り職人さんたちと打ち合わせ、そこから3~5件の現場を回って先々で現場監督や職人さんと打ち合わせをして18時頃に帰社

そこから明日の段取りを支店員3名で会議したあと、それを各職人さん5~10名に電話で指示(当時はPCを持っている人も少なくFAXのない職人さんも多かったので、キホン電話連絡でした)

ここまで翌日の段取りを終えてからようやく書類作業に取り掛かり始め(21時前)、会社を出るのが0時~1時くらいという毎日でした(当然晩ご飯はこの後・・・)

唯一の救いは、東京都内にあった本社勤務の通勤ラッシュ片道1時間半から抜け出して、15分位の車通勤で済むようになったことでした(通勤時間が減った分は働く時間が延びただけですが、疲労は軽減されていたかも)

2つの恵まれていたこと

本社以上に大変な職場環境でしたが、支店に転勤になり恵まれていたことがいくつかあります

1つは、営業もするようになり仕事を取ることを覚えたことです

それまでも施工の追加工事の交渉など、営業に近いこともしていたのですが、自分が営業をしているという自覚はありませんでした

実際にイチから仕事を取ってくることを経験し、ようやく仕事の最初から最後までの一連の流れのようなものが分かったような気がします

もう1つは、支店に所属している優秀な職人さんと仕事をするようになったことです

特に3人の職人さんには、今でも心に残っている大きな影響を受けています

私もこの3人のように手に職をつけて、自分で責任をもってできる定年のない仕事をしたいと思うようになりました

1つ目の「仕事の最初から最後までの一連の流れ」と、もう1つの「手に職をつける」ということが、会社を辞める決断をするうえで重要な考えとなりました

2つの転機

ICUでパンフ

秋篠宮佳子さまが在校されたことで有名になったICU(国際基督教大学)という大学に、校舎の改修工事で行ったときに転機が訪れました

休憩の際に何げなく入った生協に、たまたま専門学校のパンフレットが置いてありました

まったく興味がなかったのですが、なぜか数冊のパンフレットを持ち帰り読んでみました

「これなら自分の貯金でも通えそうだし、手に職をつけて一生続けられるのではないか」と考えるようになりました

健康診断で先生から呆れられる

毎年会社の健康診断を受けますが、検査を受け持つ先生は、「20代~30代前半の若い人の健康診断結果がこれほど悪い会社は初めてだ」と言われたことも1つの転機でした

特に目立ったメタボの人や、不健康そうな人はいなかったと思うのですが・・・

ここまではっきり言われた事が多少なりとも衝撃でした(よほど皆の身体がガタガタだったのでしょう)

確かに慢性的な寝不足+休養時間不足なので、目の下にクマができてる率は高かったです

50代の部長クラスでも20代の若手社員と同じような労働時間でしたので、この会社にずっと勤め続けたら体を壊してしまうのではないかという思いはありました

事実、体を壊したり精神を病んでしまう上司が数名いらっしゃいましたし

優秀な職人さんたちとの出会い

1番の理由として転機のところで書いたように、優秀な職人さんたちとの出会いが挙げられます

ただ、優秀な人がいるということは、そうでない職人さんもいるということです

現場監督と職人さんの間をつなぐ立場だった当時の私は両者の板ばさみになり、本当に苦労しました

平気で遅刻をしてきたり、現場での禁止事項を守らなかったり、定時の打ち合わせに出てこなかったり、ありとあらゆる問題を起こす職人さんががいる反面、こちらの意図を理解してくれて何でもを任せられる職人さんもいました

いつからか、手に職を持ち、1つの現場を責任をもって仕上げていく職人さんを、「かっこいいな」と思うようになりました

職人さんのしている仕事との差異

ただ、自分の中でどうしても納得がいかなかったのが、あくまでワタシは営業をして仕事を取り、取ってきた仕事の現場を管理することまでしかできなかったことです

自分で実際に工事の施工には関わりませんので、 どうしても一つの現場を最初から最後まで見通すということができませんでした

常に20件前後の現場を管理しているため1日に何件もの現場を回らなければならず、場合によっては手抜き工事をされたり、納得がいかない施工状態であっても納期の関係で手直しができなかったり、また手直しを指示しても職人さんにそれがうまく伝わらず納得いくようには直しきれなかったり、様々な悔しい思いもしました

納期優先でムチャを言ってくる現場監督も多かったです

そんな状況が続く中で、「手に職を持ち、自分が営業していただいた仕事を、自分で施工をしながら、お客様への納品までできるようにしたら、このストレスは無くなるのではないか」と思うようになりました

優秀な職人さんは、現場こそこちらから与えることになりますが、任せられた現場を自分の裁量で最初から最後まで段取りして、納得がいくように作業をしていました

ときには納期を守れない場合もありましたが、それは職人ならではのこだわりなのかなと思える人たちでした

なにごとにも自己責任で当たっていたことと筋が通っているからこそ、納期延長を怒る現場監督をも納得させる力量がありました

その点は、自分の「営業 兼 施工管理」という立場ではできない範疇でした

決断

そう言った優秀な職人さんたちとの出会いがあり、会社員でいる限り自分が納得できる仕事はできないのではないかという思いが日に日に強くなりました

ICUの生協から持ち帰ったパンフレットを何回も読み返しているうちに、なぜか自分でもデキるような気がしてきました(「やる気」というより「その気」になった)

半年くらい考えたと記憶していますが、退職の意向を伝えました

その時点では、「この職種で起業しよう」とハッキリ決めていたわけではなく、以下の基準があるだけでした

・開業資金が低予算でできるもの

・参入障壁が高いもの

・定年がなく、いつまででも続けられるもの

・仕事の最初から最後まで自分の目が行き届くもの

ここから退職するまでに3年程かかったのですが、それについてはこの記事で詳しく書いています

会社を辞めてみると、それまでの長時間労働の6年半があまりにも長く、それまでの休日を取り返すかのように全く何もせずに過ごしましたね

約半年ほどは本屋さんで、「どんなことをしようか」と調べる毎日でした(すいませんウソです。漫画も読みました。読みまくりました。普段読まないジャンルの漫画も読みました)

まとめ:主に2つの理由で起業を選びました

ここまで、ワタシが会社員を辞めることに決めた理由を書いてきました

1つは手に職をつけたかった(職人さんにあこがれた)、もう1つは最初から最後まで自分が責任を持つ仕事をしたかったというものです

結果として退職してから2つとも叶えることができました

10年以上前のことになりますが、あの時の決断は間違いではなかったと思えます

いまは事業も落ち着き、なんの心配もなく日々を過ごせています

やはり、自分が気になるモノ、引きつけられるモノを追いかけるのはパワーになるのかなと改めて思いました

なお、退職し起業を果たし、臨む状態になった結果どのようになったかについては、手に職をつけて起業し、何でも自分が責任を持てるようになった結果にて解説します

一部とんでもない勘違いをしていました・・・